国際人口移動 International Migration
故国を去るには理由がある
奴隷積み出し港
セネガルのゴレ島
セネガルのゴレ島
16世紀以降に活発化する大陸間人口移動の先鞭を付けたのは冒険家達でした。1492年にコロンブスが新大陸を発見し、その後、ヨーロッパから多くの人々が南北アメリカやオセアニアに移動しました。そして18世紀からは奴隷貿易が始まり、アフリカの人々が強制的にヨーロッパやアメリカ大陸へ連れ去られました。アジアにおいては明の時代から、中国人が華僑として他のアジア諸国に流出するという現象が顕著になりました。後に19世紀に入ると、クーリー(苦力)と呼ばれる中国人やインド人が世界各地の鉱山やプランテーション、経済の要所で雇われるようになりました。日本からも明治元年のハワイ移民を皮切りに、アメリカ、南米への移住が増加しました。そして第二次世界大戦によって南北アメリカへの移民ができなくなると、人口排出圧力は満州に向けられることになったのです。
今は観光地となった奴隷収容施設
セネガルのゴレ島
セネガルのゴレ島
一方20世紀後半には交通手段の発達から、自発的国際人口移動が増加しました。人の移動は地球のほとんどの地域に及び、経済のグローバリゼーションの一翼を担いました。またこの時期には、それまでの永住を前提とした移民ではなく、渡航の期間を契約によって限定した海外出稼ぎが増加しました。その大きな契機となったのが中東における原油の発掘と1973年の第一次オイルショックです。人口密度の低い湾岸産油国にオイルマネーが流入することにより、中東地域で大きな労働需要が生まれ、周辺諸国やアジアから中東に出稼ぎする大きな人口移動の流れが生じました。国際機関としては国際労働機関(International Labour Organization: ILO)が特に熱心に、出稼ぎ労働者の人権保護等にあたっています。
その後、1980年代半ばの逆オイルショック、1991年の湾岸戦争、および東アジアの成長と、これらの地域の通貨切り上げが相まって、海外出稼ぎの流れは多様化しています。日本も戦前の人口送り出し国であった時代から様変わりし、出稼ぎ労働者の受入国となっています。近年はフィリピンやタイとの間の自由貿易協定(Free Trade Agreement: FTA)の中に、労働者の受入を盛り込むなどの、新しい動きがあります。
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山形 辰史
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